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社会的弱者の現状・取り組み〜東日本大震災

さちるのつぶやき 其の五十四

地震から3週間が経過しました。
状況や場所や立場によって、被災地の中で情報格差・地域格差が深刻になりつつあります。
災害弱者になりやすい高齢者、障害者、病弱者、乳幼児、妊産婦などを取り上げた記事をまとめて紹介していきます。
関西から何が出来るか、自分には何が出来るかを考える一助になればと願っています。

情報登録日:2011-04-04 10:59:14 (sachiru7777)

最終修正日:2011-04-24 14:07:05 (sachiru7777)

聴覚障害者に届かない情報…津波にも気付かず

 東日本大震災に被災した聴覚障害者を支援する動きが本格化している。
 厚生労働省は各都道府県から手話通訳士などを募り始めた。
 全日本ろうあ連盟(東京都新宿区)なども独自に手話通訳士を被災地に派遣し、聴覚障害者の災害時の情報格差を是正するための対策を訴えている。
 「話しかけられていることに気付かず、避難所でぶしつけな人だと思われてしまう」。「情報を得ようとずっと周囲を見ていなければならず、疲労がたまる」――。宮城県ろうあ協会の手話通訳士宮沢典子さん(50)は避難所でこんな声を耳にすることが多いという。
 岩手、宮城、福島県によると、身体障害者手帳を持つ聴覚障害者は3県で計約1万9000人。全日本ろうあ連盟などによると、宮城県内には3日現在少なくとも19避難所に31人の聴覚障害者が避難生活を送っているが、同県内の約60人の手話通訳士も被災した人が多く、活動できるのはわずか5人ほどという。
 厚労省はこうした状況を踏まえ、各都道府県に手話通訳士の派遣を要請した。11日から有志を派遣する計画で、岩手県障がい保健福祉課は「必要な場所に手話通訳士が配置されるよう調整したい」としている。
 同連盟などで作る東日本大震災聴覚障害者救援中央本部は、3月下旬から手話通訳士の派遣を始め、現在4人が宮城県で活動している。このほか同本部は、避難所でテレビに取り付けることで手話や字幕の視聴が可能になる機器の設置を行政に要請している。
 ただ、自治体の中には聴覚障害者向けの警報器を用意しているケースもある。仙台市は、沿岸部の聴覚障害者のうち希望者には光と文字で津波を知らせる警報器を住宅内に配備してきたが、十分とは言えないのが現状だ。
 宮城県内のある夫婦は地震発生後、近くの人に腕を引っ張られるがままに高台へ連れて行かれ、後ろを振り向いて初めて津波が押し寄せていたことを知ったという。
(4月4日 読売新聞)

認知症の人へ配慮を

◇避難所生活で症状悪化も/周囲の理解、支援が必要
 被災地では認知症を抱える人たちも厳しい生活を強いられている。環境の変化で症状が悪化し、避難所で迷惑がられるケースも出ている。新潟県では徘徊(はいかい)した女性が道に迷って亡くなった。見守る家族の心理的負担も大きく、周囲の理解と支えが必要だ。
 新潟県田上町の林道で62歳の女性が凍死しているのが見つかったのは、3月28日の朝だった。県警や田上町によると、女性は福島第2原発のある福島県富岡町から家族と避難。27日午後4時ごろ、4カ所目の避難先となる田上町の宿泊施設に到着した。受付で保健師が健康チェックを行い「心のケアが必要」「不眠症状あり」などと症状を把握した約30分後、家族が目を離した隙(すき)に1人で避難所を出て、行方が分からなくなった。
 遺体が見つかった林道は避難所から900メートルほど離れており、50センチ近い積雪の上には1人の足跡しか残っていなかった。人けのない道に迷い込み、帰れなくなった可能性が高いという。同町庶務防災係の渡辺賢係長は「今後は避難者の症状や状況を見ながら、福祉施設などに移動してもらうことも検討したい」と話す。

 認知症の人は全国で200万人を超える。ストレスに弱く、住む場所が変わるだけで気持ちが混乱して症状が進み、夜中に大声を上げることもある。
 特に食事や排せつ、睡眠が不自由になる避難所生活は心身に大きな負担がかかる。宮城県認知症グループホーム協議会によると、それまで介護保険サービスを利用していなかった老夫婦が避難所に来てから徘徊を始めた例もあるという。
 95年の阪神大震災で自宅が全壊した兵庫県西宮市の新保良一さん(80)は、近くの避難所を見に行き、身を寄せるのをあきらめた経験がある。認知症の妻治子さん(76)は徘徊が激しく「連れていけば迷惑をかける。ずっと手をつないでもいられない」と思ったからだ。避難先の確保などに奔走する間、治子さんをマイカーに乗せ鍵を掛けていたこともあった。「妻には申し訳ないことをしたが、どうしようもなかった」と振り返り、「東北でも同じような思いをしている人がいるはず」と心配する。
 実際、現地では避難所生活をためらい孤立して支援を受けられなかったり、避難所から退去を求められ転々とせざるを得ないケースも出ている。
 岩手県沿岸部で壊滅的な被害を受けた山田町では震災直後、80代の女性が家族と町内の中学校に避難した。女性は歩行困難で家族を判別できないほど認知症が進んでおり、震災のことも理解できていない様子だった。
 避難先の中学校は卒業式を控え、体育館には紅白幕が張られていた。幕を見た女性は「町のお祭りだ」と繰り返し声を上げてはしゃいだ。その姿が他の避難者の気分を害し、退去を求められた。家族は100キロ以上離れた親族の元に移った。
 その後女性のケアにかかわることになった県認知症高齢者グループホーム協会副会長の横山久子さん(67)は「家族や家を失い絶望する他の避難者も、女性がはしゃぐ様子を見るのはつらかったのだろう。でも声を上げてしまったのは病気のためで、女性が悪いわけではない」と理解を求める。
認知症の人や家族も、周囲のちょっとした配慮があれば、落ち着いて避難所生活を送ることができる。
 病気への理解を広げようと認知症サポーターを養成する全国キャラバン・メイト連絡協議会は、他の避難者に「驚かせない、急がせない、自尊心を傷つけない、さりげない見守り」といった配慮を呼び掛ける。家族にも「気にしないで」「お互い様」と声をかけ安心してもらうことが大切という。
 「認知症介護研究・研修東京センター」(東京都)は、阪神大震災で避難所に救援に入った経験がある永田久美子・研究部副部長が中心となり、周囲の避難者やボランティア向けの「支援ガイド」(別表参照)を作成した。壁に張り出した避難所から「被災者や家族が読んで助け合いにつながった」との反響が寄せられたり、支援物資を送る人から「一緒に箱に詰めたい」との申し出もあるという。
 永田さんが特にボランティアや避難所運営者に訴えるのは「トイレ使用が難しくなる」という点だ。慣れないトイレにはなかなか入ろうとせず、順番待ちで後ろに並ばれただけで落ち着かなくなる。見守る家族も消耗する。そんなときは新聞紙やビニール袋で簡易トイレを作り、人目につかず済ませる工夫も必要という。
(4月4日 毎日新聞)

東日本大震災:ヘリ搬送のお年寄り5人 行方不明に

 宮城県南三陸町で、東日本大震災翌日から自衛隊などのヘリで避難先から運ばれた老人ホームの入所者ら5人の搬送先を施設が確認できず、家族とも連絡が取れないまま行方不明になっていることが2日分かった。このうち3人には認知症があり、自分の名前も言えない可能性があるという。搬送の際、施設側を含め記録を残していなかったことも一因とみられ、災害弱者の救護に新たな問題点が浮上した形だ。
(毎日新聞4月3日)

福祉作業所がよりどころに 障害者、外国人が避難 岩手

 岩手県田野畑村の福祉作業所「ハックの家」に震災後、言葉や障害の壁で避難所の集団生活が難しい人や外国人が身を寄せている。 普段は身体や知的障害者約25人が通い、就労訓練をする。震災後は利用者の大半が帰宅したため、竹下美恵子理事長(66)が声をかけた。
 「身障者用のトイレがあり助かる」と、自宅が流された田子内辰美さん(51)。人工肛門の母、トシヨさん(80)は排せつに時間がかかり、トイレが混む避難所の生活は難しい。勤務先の寮が流された中国人6人も避難した。言葉の壁も「表情やしぐさを読み取ることは慣れているから」と竹下さん。
 当初は不足した食料も、大阪府など各地の友人から物資が届き、夕食の雰囲気も明るくなった。夫が経営する就労訓練先の水産加工場が津波で壊滅し先行きは厳しいが、竹下さんは施設再開に向け動きだしている。
(産経新聞4月1日)

視聴覚障害者の支援充実を

 厚生労働省は、東日本大震災で被災した視聴覚障害者が避難所で情報を得たり頼み事をしたりするのに困らないよう、避難所を設けて受け入れている都道府県に支援の充実を求めた。視覚障害者に食料配給などの情報を伝える際、「張り紙を見てください」と対応すると影響が出るため、放送やハンドマイクを使って知らせるよう要請。トイレなどの場所が分からない場合に備え、ボランティアの付き添いなども求めている。聴覚障害者向けには、同様に「放送を聞いて」などの対応をせず、手話のできる人に腕章などを着けさせ、声を掛けやすくするなどの工夫を求めた。被災地には既に要請済みだが、県外に避難する障害者が増えているため全国に連絡した。
(産経新聞3月24日)

取り残される災害弱者 原発30キロラインの避難所 福島県いわき市

 福島第1原発から34キロ。福島県いわき市の県立四倉高校に200人以上の避難者がいる。約1キロ原発寄りの避難所にいた人たちは市のチャーターバスで移動した。四倉高校にいるのは車がないか、ガソリンが尽きて身動きできないお年寄りら災害弱者だ。
 11日、震災直後から家を失った約1200人が逃げ込んだが、翌日に福島原発の事故情報が広まると、大半はすぐに立ち去った。残されたのはほとんどがお年寄りで自力で歩けない人が10人以上。ミルクやおむつが必要な幼児もいる。食料と水は市の配給だけが頼り。感染性胃腸炎とみられる症状も広がっている。
 屋内退避指示が出ている半径20〜30キロ圏内について行政側は「自主的避難」を支援。四倉高校の避難住民らは繰り返し県や市に再避難の手配を求めているが、県は「再避難の予定はない」とする。「半径30キロから少しでも外にいれば安全なのか」。1人の男性が大声を上げた。
(産経新聞3月20日)

東日本大震災:障害者ら各地で受け入れ /群馬

 東日本大震災の被災地から、重度の障害児・者、介護が必要な高齢者の受け入れも県内各地で始まっている。
 高崎市足門町の肢体不自由児・重症心身障害児施設「群馬整肢療護園」では、福島県いわき市の「福島整肢療護園」から10歳と11歳の女児2人を受け入れた。22日早朝、群馬から運転手と看護師計4人がマイクロバスでいわき市まで迎えに行き、同日午後7時前に到着したという。群馬整肢療護園の担当者は「2人とも当初は緊張していたが、時間がたつにつれリラックスしてきたようだ」と話す。
 このほか桐生市広沢町の「両毛整肢療護園」もいわき市から1人、渋川市渋川の障害者支援施設「誠光荘」は4人を同県相馬市から受け入れている。
 一方、高崎市中室田町の社会福祉施設「新生会」は、いわき市の高齢者施設から高崎市の知人を頼って避難したお年寄り6人と職員2人を受け入れた。6人のうち2人はその後、千葉県の親類の元に移り、1人は体調を崩して入院したが、3人は同施設で暮らしている。原慶子理事長は「生活支援ハウスなど空いているところにはできるだけ、避難者を受け入れたい」と話す。
 県によると、県内の各種高齢者施設で計778人の受け入れが可能で、要請があり次第、受け入れ先を決めていくという。
(毎日新聞3月29日)

介護現場過密、ケア窮地

 東日本巨大地震で、「災害弱者」となりがちな要介護高齢者のケアにあたっている介護職員から、声にならない悲鳴が上がっている。無事だった介護施設には被災者が集中しており、過密状態で仕事にあたる職員の疲労はピークに達している避難者が集中/認知症悪化も
食堂の床で眠る高齢者に布団をかけ直す阿部さん。職員たちも床で寝ている(宮城県東松島市の「はまなすの里」で) 宮城県東松島市にあるケアハウス「はまなすの里」。津波による浸水を免れたため、被災直後から、近くの特別養護老人ホームやグループホームの入居者、職員らが避難してきた。
 定員39人の施設に、避難してきた人を合わせ高齢者が約50人、それに家族や職員も加えた計約80人が暮らす。被災から1週間後には電気が復旧したが、29日まで水道は断たれたままだった。職員は、飲み水にする湧き水をくみ、トイレに流す水を池から運んだ。
 認知症の人の中には、地震が起きたことを忘れてしまい、「なぜ、こんな不便な思いをしなくてはならないのか」と繰り返し不満を漏らす人も。一方で、小さな余震にも「津波が来る」と不安がる人もいる。
 個室の床に布団を敷き、2、3人の高齢者が一室で眠る。食堂の床で寝る高齢者の布団をかけ直していた職員の阿部浩幸さん(50)は「被災して出勤できない職員がいるため、勤務がきつくなっている。ずっと泊まり込んでいる職員も少なくない」と話す。
 同県石巻市の特養「おしか清心苑」の状況はさらに深刻だ。定員60人の施設に、近くのグループホームから避難した高齢者と職員、被災した職員の家族らを加えた約120人が寝泊まりする。中心市街地から20キロ・メートル離れた牡鹿半島の先端にあり、ガソリンも底をついたため、二十数人の職員は3週間、ほとんど泊まり込み。体調を崩す職員も相次ぐが、近くの病院で点滴を受け、仕事に戻っている。
 地震による地盤沈下などで十分な支援物資が届かず、おむつや食料も不足しがちだ。停電で空気マットの電動ポンプが使えない上、栄養不良が追い打ちとなり、一部の高齢者に床ずれができ始めている。認知症の悪化が見られる人もいる。
 生活相談員の木村優子さん(33)も、おむつ交換などに当たる。「精神的に不安定になった人が夜間も起きているので、仮眠も満足にとれない。職員を休ませたいが、交代できる職員がいない」と窮状を語る。
 阪神大震災の際、介護施設に被災者を受け入れた神戸市の社会福祉法人「神戸福生会」の中辻直行理事長は「職員も当初は気が張っているが、2週間が限界。ストレスにより、突然泣き出す、パニック状態になるなどの症状が出た。被災当事者でもある職員の休息が必要。応援職員の派遣が急がれる」と指摘する。
 厚生労働省は、人手が足りない被災地に全国の介護施設などから職員の派遣を始めており、29日までに、岩手、宮城、福島の3県に164人が派遣されている。
(読売新聞3月31日)

避難所で自閉症の子を受け入れるには

 日本自閉症協会(東京都)によると、普段と違う場所や騒音に弱い自閉症の人には、避難所での生活は相当なストレスがかかるという。
 同協会は「寝ている人がいるから静かにする、といった共同生活の『暗黙の了解』も苦手」と説明する。パニック状態になって大騒ぎする可能性もあるため、「家族も『迷惑をかける』と悩んで、避難所に入れないことがある」という。
 アスペルガー症候群など自閉症と似た特性を持つ人たちにも、同様のことが当てはまる。また、一見障害があるようには見えなくても、程度の差はあれ自閉症に近い特性を持つ人は多い。
 避難所に入れず車や傷んだ家で生活する例は、2004年の新潟県中越地震の時にもみられた。避難所に入れないことで、周囲に問題が認識されづらい、配給が受けられない−−といった弊害を生むことも指摘されている。
 同協会は、そうした人たちや受け入れ側に対応策を示すため、「自閉症の人たちのための防災ハンドブック」を作成。自閉症の特性の説明や、コミュニケーションの取り方などをまとめた。その中で、「わがままではなく障害の特性であることを知って」と周囲の理解を求めている。
 特に重要なのはパニック状態になった際の対応だ。しかったり押さえつけたりせず、「『大丈夫だよ』と声をかける」「離れた場所に移して落ち着かせる」「興味を切り替えられるもの(飲み物・食べ物・ゲームなど)を勧める」といった方法が有効という。
 指示する際には、本人に個別に説明することが重要だ。順番を守るということを理解しにくい人には、配給なども個別にする必要がある。
 同協会は避難所に専門の知識を持ったスタッフを置くことが必要と訴えているが、そうした態勢を十分に整えるのは容易ではない。そのため、同協会は、周囲の視線や音を気にする場合は、避難所に仕切りで区切った場所を用意する、耳栓やヘッドホンをつけてもらって騒音を遮る、といった応急策も示している。
(朝日新聞震災特集)

妊婦受け入れ

 出産間近で被災地での出産が難しい妊婦について、日本産婦人科医会のホームページ(http://www.jaog.or.jp/index02.html)や各都道府県の産婦人科医会のホームページで、受け入れ可能な施設を紹介している。電話(03・3269・4786)での相談にも応じている。

 また、大阪府松原市の阪南中央病院は、被災した妊婦、または被災地の病院で出産予定だった妊婦を受け入れる。4月から月3人程度を予定。家族の生活や住居、交通費についても相談に応じる。希望者は事前に担当の助産師・林田さんまで、電話(072・333・2100)かメール(tomarigi@hannan−chuo−hsp.or.jp)で問い合わせる。
(読売新聞4月4日)

リンク日本産婦人科医会

暗闇の小学校保健室で出産、被災女性ら連携

 東日本巨大地震の翌12日、避難所となった石巻市内の小学校で陣痛がきた女性を被災者たちが手当てし、無事に男児が生まれた。
 設備がない中、保健室を分娩(ぶんべん)室代わりに危機を乗り越えた。手当てした人たちは女性の名前すら聞く余裕がなかったが、今、再会を夢見ている。
 地震直後の11日夕。釜小学校に避難していた女性が陣痛を訴えた。ともに自宅が水没して避難所にいた市内の看護師、阿部佐貴さん(25)と中川洋子さん(41)はサポートを決意。さらに看護師の女性ら5人が加わった。
 津波による浸水で病院への搬送は困難なため、女性を保健室へ。停電で校内は間もなく暗闇に包まれた。医療設備はなく、保健室にある救急道具や裁縫道具など、使えそうな物をかき集めた。赤ちゃんを保温するため、乳児が入る大きさの発泡スチロールの箱も用意し、保健室は即席の分娩室となった。
 「どうしよう…」。震災のショックと、出産予定より10日ほど早い陣痛に、女性は動揺していた。津波に自宅をのみこまれ落ち込む阿部さん、中川さんだったが、命の火を消すまいと、懐中電灯を握り、女性の背中をさすり励まし続けた。みな地震におびえる中で必死に手当てを続けたため、女性の名前は聞けなかった。
 女性に寄り添ってから約9時間後の12日午前3時頃、男児が生まれた。別の女性が裁縫用の糸とはさみで、へその緒を切断。産声が響くと校内に拍手が広がった。
 阿部さんは「女性の安心した顔が忘れられない。それ以上の記憶はほとんどない」と振り返る。その後、名前を聞かないまま、母子を救急隊に引き渡し、手助けした人たちも間もなく学校を去った。
 「被災地にともった小さな命に勇気づけられた。また会いたい」。阿部さんと中川さんは、母子が被災から一歩を踏み出せたとき、再会して喜びを分かち合うことを願っている
(3月21日読売新聞)

「災害弱者」 乳幼児の親、意識的備えを

  地震や風水害などの際、「災害弱者」と呼ばれる人たちは、避難にさまざまな困難が予想される。東日本大震災後、暮らし面「どう守る」で乳幼児連れの避難を取材した。保育者と保護者の連絡態勢を取材する中、ついうなずいてしまったのが京都市内の幼稚園長の言葉。「京都は自然災害が少なく、台風による休園でさえ、めったにないでしょう。考えないといけないとは思ってるんですけどねぇ」。のんびりとした口調に引き込まれたのもつかの間、幼稚園の電話は1回線、連絡事項は保護者の電話連絡網で流すと聞き心配になった。非常時にそれで間に合うだろうか。
 記者自身、今回の地震後に初めて、非常持ち出し品をかばんに詰めた。1歳の娘に必要な紙おむつ、食べられそうなレトルト食品や缶詰、水を詰めたかばんを背負って驚いた。「重い」。取材中、「子どもを抱っこしたら水や食料を持つ余力はない」と話した母親の言葉を実感した。
 災害時、必要な情報を得て避難するのに支援を要する人を「災害時要援護者」、いわゆる「災害弱者」と呼び、高齢者や障害者、外国人、乳幼児、妊産婦らを指す。しかし、2006年に内閣府が定めた「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」は、主に高齢者や障害者を想定。乳幼児について具体的な検討は行われていない。親か、親に代わる大人がついているから安心ということだろうが、乳幼児を抱えた大人自身が災害弱者といえるのではなかろうか。
 京都市伏見区の桜木保育園には、災害用備蓄倉庫がある。中には粉ミルク17缶、各サイズの紙おむつ計10袋、お尻ふき16袋、アルファ米5箱、乾パン5箱、カセットこんろ3台などが詰まっていた。広域避難場所となっている小栗栖中は直線距離で約600メートル。外環状線を横断しなければならず、0歳から5歳児までの園児を安全に連れて行くのは並大抵ではない。被災状況によっては園内にとどまることも視野に入れ、常に物資を保管しているのだという。
 記事では、災害時に備えて確認しておくこととして、「保育園や幼稚園の避難先はどこか」「電話以外の連絡先を知っているか」を挙げた。04年の新潟県中越地震後、乳幼児の保育施設の実態調査をしたセコムIS研究所によると、災害で親と保育者のコミュニケーション不足が浮き彫りになった。災害時優先電話が設置されていた保育園からは発信できたが、1回線しかなかったため全員に連絡するのに時間がかかったという。災害用伝言ダイヤル「171」や携帯電話の「災害用伝言板」を活用するなど、あらかじめルールを決めておけば親も保育者も無駄な労力を使わなくてすむ、と指摘する。
 すべての命が尊いのは言うまでもないが、被災で亡くなった方の名簿に0歳や2歳の名前を見ると胸が痛む。そうした幼子の傍らにはきっと、小さな命を懸命に守ろうとした大人の姿があったはずだ。
 いつ起こるか分からない、起こらないかも知れない災害に備えるのは面倒だ。しかし、乳幼児を抱える大人は災害弱者であるという認識を持ち、小さな命を守るためにできることをしておきたい。
(京都新聞4月6日)

被災女性の悩み相談ブログ、仙台の漫画家が開設

 仙台市在住の漫画家、井上きみどりさんが、東日本大震災で被災した女性向けに、健康相談などに応じるブログ「震災にあった女性のための からだとこころの救急箱」を開設した。
 不自由な避難所生活を強いられる女性たちが抱える、生理や妊娠、更年期の症状などの悩みについて、相談から回答までをメールでやり取りできる便利さが受けて、アクセス数は2日までに1万件を超えた。
 ブログは3月23日に開設。パソコンや携帯電話からのメールを受け付け、井上さんや仲間の女性編集者がチェックした上で、婦人科医や漢方専門医、精神科医、泌尿器科医らに転送する。これまでに「避難所で婦人科薬がなくなって不安」「症状が悪くなっている気がする」などの相談が寄せられたという。
 井上さんは子宮筋腫を患った体験から、女性特有の病気の患者と医師を題材にしたエッセー付きの漫画を刊行するなど、女性の健康に強い関心をもってきた。地震で井上さんも自宅マンションの近くで下水管が損傷し、トイレから水が逆流するなどの被害を受けたが、避難所暮らしを送る女性たちが、他人に相談しにくい悩みを抱えているのでは、と心配していたという。
 そんな時、取材で知り合った医療関係者と「女性の悩みを気軽に相談できる方法を発信できないか」と話し合い、「メールを使えば相談しやすいはず」とブログの開設を決めた。
 心の相談を担当する長野県松本市の東昌寺副住職、飯島恵道さん(47)は、看護師の経験をもち、チェルノブイリ原子力発電所を視察したこともある。飯島さんは「細かい気配りができる女性は避難所での役割が大きい分、無理や我慢をすることも多い。相談で少しでもプラスになれば」と話す。
 井上さんは「限界はあるかもしれないが、少しでも被災者の安心につながってほしい」と利用を呼びかけている。
(読売新聞4月3日)

リンク◆「震災にあった女性のための からだとこころの救急箱」

被災がん患者へブログで助言…愛媛

薬用法、受け入れ病院 県内などの患者団体
 東日本巨大地震で被災したがん患者に向け、NPO法人「愛媛がんサポートおれんじの会」など全国の5患者会で組織する「J―CAN」(事務局・東京都三鷹市)がインターネットのブログを開設し、被災地で取るべき行動についての専門医の助言や、患者を受け入れ可能な病院などの情報を発信している。
 発生間もない12日午後から21日午前までに66本の記事が掲載され、「経口の抗がん剤が切れても、1、2週間なら問題ない」「数種のホルモン療法剤は避難所の環境下で服用すると、血栓のリスクがあるので控えるように」など、専門医からの助言が並ぶ。
 受診可能な医療機関一覧や、簡易ブログ「ツイッター」で医療相談を受け付けている医師の情報も掲載。21日午前までに約7400の閲覧があるという。
 同団体事務局の片木美穂さん(37)は「落ち着いて情報収集して対処してほしい。医師や医療機関も情報を寄せてほしい」と訴えている
(読売新聞3月22日)

リンク被災がん患者への情報提供ブログ

医療・腎臓病、がん…5日現在

 全国腎臓病協議会(全腎協)は、腎臓病患者や透析患者、家族からの無料相談電話を設けている。電話0120・088・393(平日10〜18時、12時半〜13時半を除く)
 ◇がん
 国立がん研究センターは、被災したがん患者の治療可能な病院紹介などに応じる「被災がん患者ホットライン」を設けている。同センターあての紹介状(診療情報提供書)を準備できる人は電話03・3547・5130(10〜16時)。ない人は電話03・3547・5293(9〜18時)。いずれも平日のみ。同センターのホームページ(HP)では、抗がん剤治療が受けられる東北地方の病院の一覧なども掲載している。
(毎日新聞4月5日)

リンク全国腎臓病協議会(全腎協)

リンク被災がん患者ホットライン

製薬各社の被災状況が判明、経腸栄養剤やパーキンソン病治療薬の入手も困難に

 東日本大震災から3週間が経過する中で、製薬企業の被災状況の全貌が明らかになってきた。震災当初、あすか製薬など被災地に工場を持つ企業の操業停止が注目されたが、ここへ来て、栃木県、群馬県など被災地周辺地域での工場の停止状況も判明。生産回復が予想以上に難航していることが判明しつつある。
 下の一覧表は、震災による製薬企業の被害状況をまとめたもの。あすか製薬の甲状腺機能低下症治療薬チラーヂンは国内シェアが98%と高く、代替薬も確保が困難。そのため、震災後まもなく、「供給途絶で、患者の生命に影響が出るのではないか」との緊張が医療界に走った。その後、あすか製薬が委託生産や緊急輸入の方針を明らかにしたことで、不安感はやや薄れている。サブラッド血液ろ過補充液を製造する扶桑薬品工業茨城工場も、早期の生産再開にこぎ着けられる見通しだ。
 一方、新たに問題が深刻化しているのが、経管経腸栄養剤の調達問題。ここ数日の間に入手が困難になっている。全国シェア約5割を握るアボットジャパンの経管経腸栄養剤エンシュア・リキッドおよびエンシュア・Hが、缶を製造しているメーカーの被災で供給ができなくなり、納入を断られる医療機関が相次いでいる。同製品の代替品としては大塚製薬工場のラコールがあるが、こちらも入手が難しい状況だ。
 そうした中で、鼻や胃腸から栄養補給を受けている患者への悪影響が懸念されている。
 東京都・江東区の赤羽根医院(赤羽根巌院長、東京保険医協会副会長)には、エンシュア・リキッドを使う在宅患者が2人いる。うち1人は80代の女性で鼻から栄養を摂取している。もう一人は生活保護受給の70代男性で、胃から栄養補給を受けている。エンシュア・リキッドの入手が困難になっていることで、これら2人の患者の家計負担が急増する可能性が高まっている。
 エンシュア・リキッドの薬価は10ミリリットル当たり7.6円。通常、200ミリリットル缶を1日3缶使用した場合、1日当たり薬剤費は約450円。1カ月では、約1万3500円となる。ただ、75歳以上(後期高齢者)の場合、自己負担(一部負担金)は1割、生活保護の場合、自己負担はないため、それぞれ実際の負担額は1350円、ゼロ円。一方、アボットが推奨する代替品(保険対象外)を使用した場合、「1カ月に5000〜3万円程度の負担増になることが想定される」と東京保険医協会は指摘する。
 こうしたことから、同協会は3月29日付けで厚生労働省に対して、エンシュア・リキッドなどの医薬品が各医療機関に公平に供給されるような方策の検討や、保険対象外(薬価基準収載外)の代替品を患者に投与した場合に、一時的に保険給付の対象とすることなどを要望した。神奈川県保険医協会も同28日付けで「代替品の臨時的な保険適用」を求める政策部長談話を発表している。
 工場の被災などにより品薄となっている医薬品は、ツムラの大建中湯、中外製薬のパーキンソン病治療薬マドパーなどがある。このうち、マドパーについては、「パーキンソン病患者が毎日服用する医薬品で欠かすことができない。代替薬としては、ネオドパソール(第一三共)、イーシー・ドパール(協和発酵キリン)があるが、メーカーからは急な増産は難しく、マドパーを使用している患者さんの分をまかなえるほどではないと聞いた」(森壽生・横浜相鉄ビル内科医院院長=神奈川県保険医協会研究部長)。
また、東京保険医協会によれば、「内視鏡の消毒薬や検査に用いる試薬、生理食塩水の一部の規格なども入手が困難との指摘が会員から上がっている」。
 こうした製品の多くについて、メーカー、医薬品卸とも医療機関に十分な情報提供を行っているとは言いがたく、「突然、手に入らなくなるという例が多い」(前出の赤羽根院長)。
 厚労省は、適切な流通の確保や保険給付の特例措置導入など、早急な対応策を迫られている。
(岡田広行、島田知穂=東洋経済オンライン)

人工透析求め、原発の町から東京へ、避難者がつきつける重い課題

 日本の人工透析患者は約29万人。今回、震災の被害が著しかった岩手、宮城、福島の3県には、約1万2000人の透析患者がいた。人工透析は腎臓の機能が低下し、自力で血中の老廃物を濾過できない腎不全の慢性腎臓病患者が行う治療だ。腎臓の機能が低下したまま放置すると、尿毒症など深刻な事態を起こす可能性がある。そのため、透析は通常1回4時間の治療を週に3回欠かさず行うことが必要だ。
 今回の震災では多くの「透析難民」も発生した。そのひとりである金澤かつ子さん(61)が震災後、透析患者に何が起こったかを語った。金澤さんは、福島第一原発から約8キロメートル離れた福島県双葉郡浪江町で11日に被災、17日に東京に避難してきた。
 3年前から、糖尿病の合併症による腎臓病で人工透析を続けている金澤さん。「避難所の過酷な環境で血圧も上がり、死ぬかと思った」と今回の体験を振り返る。金澤さんの体験から、今回の震災で見えてきた医療体制の課題を探る。
 金澤さんは地震当時、浪江町にある自宅にいた。自宅に大きな損壊はなかったが、電気が止まり、テレビを観ることができず情報源を失った。しかし、消防団に入っておいる長男(34)が無線で外部との連絡を取っていた消防署の屯所に11日の夜は一泊した。
 翌日には、原発事故による10キロメートル圏外への避難勧告を無線で受け、川俣町内にある避難所へ移動。さらに、その翌日の13日にはさらに20キロメートル圏外への避難勧告が出され、保険証と銀行通帳などわずかな荷物だけで町を出た。2カ所の避難所で定員オーバーを理由に拒否されたのち、辿りついたのは浪江町から50キロメートル離れた福島県伊達郡川俣町の高校の体育館に作られた避難所だった。
 ようやくたどりついた避難所も持病を抱え、足も不自由な金澤さんには耐え難い環境だった。まず、困難を伴ったのはトイレの利用だ。体育館の外に設置されたトイレに行くには、階段の登り降りが必要。約1000人を収容するこの避難所では長蛇の列ができており、手摺もない。金澤さんは処方されていた下剤の服用をやめ、トイレに行く回数を極力減らした。
 最大の懸念は人工透析をどこで受けられるかということだった。避難所に医師はいない。保険師に透析を受けたいと相談したが、半日経っても回答はない。その後、同じ避難所にいた知人の助けで、ようやく人工透析を受け付けている川俣町内の病院に向かうことができた。診察を受けると、普段120〜130mmHg程度の収縮期血圧が200mmHg以上に上昇していた。透析後も抗生剤などの薬を手にするために薬局で3時間以上待ち、その後避難所へ戻った。
 到着時の避難所は電気が届かず、暖房もない状態。さらにラジオ、携帯電話の電波も届かず情報が寸断されていた。食事は1日3回配られるが、おにぎり1個、もしくはバナナ1本のみ、水は4人で2リットルという必要最小限のものだった。
  高血圧などで体調が悪い人が車で搬送して欲しいと周囲に願い出ても、燃料不足のため応じる人はいない。発熱や嘔吐に苦しむ子供も多くいた。金澤さんは「避難所の環境は厳しい、ここで死ぬのではないか。放射能があっても自宅に帰りたい」と思うほどになっていた。
 そこで、長男が東京にいる金澤さんの義姉の自宅へ行くことを提案。13日から3泊の川俣町での避難所生活を経て、16日の昼に長男の運転で夫と3人での東京まで約270キロメートルのさらなる避難を始めた。
 高速道路は封鎖されており、国道4号沿いをひたすら進んだ。東京へ向かおうにも燃料不足と、大渋滞で身動きができない。車中泊を経てついに、埼玉県の越谷で燃料切れの赤いランプが点灯、ファミリーレストランでの停車を余儀なくされた。17日朝に救急車を呼び、義姉の自宅近くで透析治療をしている東京・大田区の東邦大学大森病院に到着した。「病院について義姉の姿を見てようやくほっとした」(金澤さん)。現在は東邦大学大森病院の近隣にある大森邦愛クリニックで週3回の透析治療を受ける。ただ、現在も夜になると足がしびれるなど、過酷な避難所生活の後遺症が残る。
 金澤さんの夫(65)は元東京電力の協力会社社員で、全国の原子力発電所で23年間働いてきた。60歳で定年を迎えた後も、福島第一原発などで働いている。金澤さんは原発で働いている夫が身近にいることもあり、「原発がこんなに怖いものだとは思っていなかった」と漏らす。事の重大さにきづいたのは避難して様々な情報を見聞きしてから。避難当初はすぐに戻って来られると考えていたため着の身着のままで自宅を後にしていた。
 浪江町は、町民の1万7800人が福島第一原発の30キロメートル圏外に避難している(3月23日現在)。仙台市や郡山市など、金澤さんの知り合いも散り散りになった。放射能の心配がなくなったらすぐにでも地元に戻りたいという思いは強い。だが、海岸沿いは津波で壊滅状態。「悲惨なものですよ。浪江町というところは」。金澤さんの表情は暗い。
 週3回の透析が必要にも関わらず、治療を受けるのに時間を要した金澤さんの体験は例外的なものではない。東京で今回のような震災があったときにはどのようなことが起こるのか。
 金澤さん(上を参照→こちら)が搬送された東邦大学大森病院腎センターの相川厚教授(日本移植学会・広報委員長)への取材を通じ、震災時の透析医療の課題を探った。
 東京・大田区にある東邦大学大森病院は腎臓病治療を専門に行う腎センターを備えている。重症患者の透析に加え、腎移植を年間50例程度行う、腎臓病治療に力を入れる病院だ。
緊急時にはベッド不足で透析時間短縮、透析ネットワーク強化でもなお課題
 同病院の相川厚教授(日本移植学会・広報委員長、写真)は、震災時の透析医療について「阪神大震災の時に透析医療について相当問題があったので、47都道府県で災害時のネットワークを起ち上げた。今回の震災はマニュアルもできており透析治療は前進している」と語る。
 実際、日本透析医会に加盟している同病院では今回の災害にあたり、人工透析用のベッドを5床用意。ネットワーク下にある病院は緊急時に何床のベッドを確保できるかあらかじめ報告しており、非常電源を使用できる病院もネット上で公開されるようになった。
 ただ、相川教授は「水も電気もない震災時の医療は相当大変」と話す。ネットワーク化など組織面の整備を整えても、震災時に患者が直面する問題を全て解消することはやはり難しい。
 実際、被災地での透析治療は現在さまざまな困難に直面している。
 相川教授によると、現在、仙台地区で透析治療をしている病院では平常時の患者以外にも、避難所などからの患者受け入れが発生。ベッド不足に陥り、通常4時間かけて行う透析を2時間半や3時間に短縮して対応しているという。
 通常4時間で体内から引く水分を3時間で引かなければならないと、血圧が急に低下したり、頭痛や吐き気などの不均衡症候群が起こりやすくなる。尿毒素が身体にたまるという悪影響もある。さらには心不全や、肺水腫にもつながる。カリウムの数値も高くなり、不整脈、場合によっては死につながることもあるという。
 また、移植を受けた患者にとっても、震災の影響は大きい。移植後は免疫抑制剤の服用で移植された腎臓との拒絶反応を防止する必要がある。だが、「腎移植をしている病院は限られているため、震災のような緊急時に免疫抑制剤が切れた場合には入手が非常に困難になる」と相川教授は指摘する。
 今回も、東邦大学大森病院に羽田空港で足止めになった腎臓移植後の患者から、免疫抑制剤を処方して欲しいとの要請があった。しかし、薬剤の処方は患者の診察が必要のため、このような要請には応じることができない。免疫抑制剤は病態が安定している患者でも個々によって種類や量を微妙に加減する必要がある、という難しさもある。
 東邦大学大森病院では非常用の自家発電装置があり、震災後も透析、移植手術とも通常どおり行っている。ただ、今後は電力需要期の夏場にさらなる計画停電なども予想されている。被災地では、金澤さんのように透析患者がなかなか病院までたどりつけない例があった。また、多くの医療機関で、ベッド不足という深刻な問題を抱えている。
 長期化が予想される今回の震災の影響。個々の病院や医療スタッフの努力だけではなく、行政には現在の医療体制の問題点を注視したうえで、さらなる備えが求められている。
(麻田 真衣=東洋経済オンライン)

となりに障害者 接し方は

避難している障害者への対応をまとめたリーフレット「あなたの避難所にこんな方がいたら」を、障害がある女性らでつくる「DPI女性障害者ネットワーク」(東京都)がつくり、ブログで公開している。

 視力・聴覚、精神や難病など障害の種類に応じた基礎的な接し方を説明。集団生活に適応しにくい人たちのために2次避難所を設ける▽言語障害で相手の言葉が聞き取れない場合はわからない旨を伝える▽精神障害がある人は薬の副作用で水を多く飲まないといけない場合がある、など具体的な対処法を紹介している。

■「あなたの避難所にこんな方がいたら」から
【肢体不自由のある人】
歩行の手助けは、手をつなぐ、腰に手を回す、ベルトをつかむなどの方法があるが、どうするのが良いかは直接、本人に尋ねる
【視覚障害のある人】 
読み書きや慣れない場所での歩行が困難。食料や給水を受けられるよう配慮を
【聴覚障害のある人】 
口の形では正確に伝わらないだけでなく、強い疲労を招く。必ず手話か筆談を
【言語障害のある人】 
中途半端な返事はせず、わからないときはその旨を伝える。聞き取れないことは悪いことではない
知的障害のある人】 
ゆっくり話したり、身ぶり手ぶりや絵を描いたり、実物を見せたりすれば理解しやすい
【精神障害のある人】 
見た目ではわかりづらい障害を理解する。睡眠障害のある人や夜中に落ち着かない人もいる。疲れやすさから休息が多く必要な人もいる
(※同じ障害でも個性や障害の状況、体調によって、必要な支援は一様ではないことを念頭に置く)
(朝日新聞4月9日)

リンクDPI女性障害者ネットワーク(DPI Women's Network Japan)

被災した障害者支援に基金2億円を全額投入 大阪のNPO

阪神大震災を機にできた障害者支援のNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市)が、16年かけて積み立てた基金約2億円の全額を、東日本大震災で被災した障害者の支援に投入する。「こんな日のためにためてきた。救える命をいま救いたい」という。

「訪問介護の利用者が津波に巻き込まれ行方不明です」
「お金が底をついた。早急に援助してほしい」

ゆめ風基金のブログには、被災地の団体からの悲痛な訴えが並ぶ。障害者の状況はなかなか伝わってこない。そこで、安否確認や支援態勢づくりに役立てようと、被災地の約20団体からメールなどで得た情報を掲載したところ、アクセスが殺到。事務所では「支援したい」という電話が鳴りっぱなしだ。

基金の設立は1995年6月。阪神大震災のとき、障害者の中に逃げ遅れや避難所で体調を崩した人が相次いだことから、障害者や支援者らが立ち上げた。永六輔さんや小室等さんら著名人にも協力を呼びかけ、約1万人の会員が集まった。基金の元手は寄付金で、新潟中越沖地震やハイチ地震など、これまでに総額約4千万円を国内外の障害者支援に役立ててきた。

今回も素早く動いた。理事の八幡隆司さん(53)は、各地の障害者団体でつくる障害者救援本部を代表し、18日から20日にかけて福島県郡山市と仙台市で障害者の避難状況を確認。現地の団体から現状を聴き取ったところ、ガソリン不足でヘルパーが介護に向かえなかったり、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者のたんを吸引するチューブが不足したりしているという。

知的障害者の中には、生活サイクルの急変で精神的に不安定になり、家族の負担も深刻化しているという報告もあった。対応が急務だとして、郡山、仙台の両市に障害者支援のための拠点を作ることを決め、21日に帰阪した。

被害が深刻な地域では、連絡すら取れない団体もある。事務局長の橘高千秋さん(59)は「助けを求められず孤立している障害者はたくさんいるはず。助かった命をなくしたくない」と支援を呼びかけている。

救援金の送り先は「ゆめ風基金」(郵便振替口座00980・7・40043)へ。
問い合わせはメール yumekaze@nifty.com で。
(朝日新聞)

リンクNPO法人ゆめ風基金

在宅障害者に支援届かず 所持金もわずか

震災から1カ月たつが、被災地の在宅障害者には、いまだ支援が届いていない実態がある。知的障害のある長女(29)らと宮城県石巻市向陽町の市営住宅に暮らす馬場きり子さん(69)は両足が不自由で震災後、両手でつえをついて買い物や給水に出かけている。救援物資は足りず、所持金も残りわずか。月に何度か様子を見に訪ねてきていた市職員も震災後は現れない。馬場さんは「誰かに声をかけてほしい」と悲鳴を上げている。
 馬場さんはもともと両足に障害があるうえ、2月21日に自転車に乗っていて乗用車との交通事故に遭い、右足骨折で全治6週間の重傷を負い、市内の病院に運ばれた。3月11日、入院先で地震に襲われた。ベッドが激しく動き、柵につかまって必死に耐えた。
 障害者施設に通う長女とは即日連絡がついた。安否が分からなかった同居の次男が震災2日目、病室に現れ、自宅がかろうじて津波被害を逃れたことを知らせてくれた。次男は「食べる物がないから避難所に行ったが、『初日に来た人以外はだめ』と入れてくれなかった」と言う。馬場さんはまもなく退院し、娘も施設が浸水で使えなくなったため自宅に戻った。避難所に頼れない3人の在宅避難生活が始まった。
 自治会を通じた救援物資はごくわずか。知人が分けてくれる米や飲料水を加えても、とても足りない。自転車なら片道10分ほどのスーパーや給水所まで40分かけて歩き、長女に荷物を持ってもらって帰る。
 収入は馬場さんと長女の障害者年金だが、足の治療費がかさみ、15日の振込予定日まで残り1万円しかない。生活相談に乗ってくれていた市の職員も震災後はまったく訪れず、窮状を訴える相手もいない。
 馬場さんは以前から進んでやっていた自宅前のごみ収集所の整理を、今も毎日続けている。「つらい時ほど頑張らなくては」と思うからだ。被災した家具や衣類などが捨てられ、収集所には大量のごみが積もる。馬場さんは、それらを黙々と片付ける。
 心の支えは家族の存在だ。10日午後、神奈川県平塚市の長男家族から救援物資が届いた。玄関先で段ボール箱を開くと、衣類や食料とともに、6歳の孫が書いた手紙が入っていた。小学校に上がったばかりの女の子だ。
 「いちねんせいになりました。たくさんべんきょうして、ともだちたくさんつくるよ。またあそびにいくからまっててね。おげんきで」
 馬場さんは「支えてくれる人もいる。でも地域からは、私たちは見放されている。誰かに声をかけてほしい」と訴える。
(毎日新聞4月12日)

避難所の発達障害児ケア 神戸の団体など助言

 緊張やストレスが高まると、自閉症や注意欠陥多動性障害(ADHD)などの発達障害がある子どもは、突然大声を上げるなどの行動を取る傾向がある。東日本大震災の被災地では、他の避難住民への気兼ねから、発達障害児の家族は避難所に入らないという報道もある。災害時、当事者や家族にはどんな配慮が必要なのか。
 発達障害は脳の一部に先天的な機能障害が生じることが原因とされ、知的な遅れがある場合とない場合がある。特徴は人によって異なるが、コミュニケーションが苦手で、言葉を額面通り受け取ったりその場の雰囲気を読むことが難しかったりするケースが多い。
 障害者や妊婦、介護が必要な高齢者ら「災害弱者」は、避難所生活で健常者以上に困難がつきまとう。国は、災害弱者が優先的に避難する「福祉避難所」について2008年にガイドラインをまとめたが、発達障害児・者については明確な言及はない。障害者手帳を持たない人も多く、自治体の防災計画などからも外れがちという。
 震災後、日本自閉症協会は避難所での注意点などをホームページで呼び掛けている。協会によると、自閉症自閉症に近い症状の人は、具合が悪く横になっている人がいる→静かにしなければならない、共同生活では譲り合う→迷惑にならないよういつもよりも我慢するといったあえて口にする必要のない事柄を理解するのが難しい。急に走り出したり、大声を出したりするなどの行動も予想されるという。「わがまま」ではなく「障害の特徴」だが、十分に知られていないため親が非難されることもある。
 協会は、避難所では間仕切りを設ける▽絵や身ぶりを使い、伝わるまで根気よく話し掛ける▽子どもから目を離せない親のために食料などの配給は個別で‐などの助言をしている。
 神戸市を拠点に活動する「JAM(発達に気がかりのある子をもつ親と子のサポートの会)」のメンバーも被災地の発達障害児を案じる。副代表の藤尾さおりさん(39)=同市北区=の長男タケル君(13)は自閉症。突然大声を上げたり、片時も止まらず動き回ったりする。「この子を抱えての避難所での生活など想像もできない。目を離すとどこかに行ってしまうという不安もあり、気が気でないと思う。知的や精神、身体の障害と違い、福祉の支援を十分に受けられないのではないか」と心配する。
 他のメンバーからは、状況の変化に慣れるまで個別のスペースがほしい▽障害を示すワッペンがあれば理解が得られる▽避難所を取りまとめる立場の人が周囲に障害の特性を伝える‐などの提案が出た。
 JAM代表の重松るみさん(62)=同市北区=は「『大変ね』というねぎらいの一言で救われる親もいます。発達障害児の家族には優しい気持ちで接してくれれば」と呼び掛ける。
(神戸新聞4月11日)

リンク日本自閉症協会

リンクJAM(発達に気がかりのある子をもつ親と子のサポートの会

「遊び」で安心取り戻す 避難所での子ども支援

 東日本大震災で避難所生活を強いられている子どもたちにどう接したら‐。「遊び」を通じて被災からの立ち直りを現場で支援している国際援助団体「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」(東京)のスタッフ、佐藤則子さんに聞いた。今後、現地入りを考えているボランティアにとっても支援活動に役立ちそうだ。
 同団体は、震災直後に現地入り。岩手、宮城両県内の複数の学校避難所の教室や中庭で、子どもたちが安心して遊べる「こどもひろば」を運営している。研修を受けたスタッフや現地ボランティアが1日1回、遊びを通じて子どもをケアする。
 「被災地では、必ずといっていいほど生活が不規則になる。そんな中で『規則正しく遊ぶこと』が、安心を取り戻す良い機会になるんです」
 震災後、恐怖でなかなか母親のそばを離れることができなかったのに、同世代の子と一緒に遊ぶことで元気になった子どももいるという。
 かわいそうだと思って震災や津波の恐怖体験を聞くのは良くない。「精神保健の専門家ではない私たちは、安易に『心のケア』に立ち入らないように注意しています。子どもたちが自らの力で回復するお手伝いに徹することが重要です」
 避難所生活は大人も気持ちが荒れるが、「こどもひろば」のような場ができれば、一時的に子どもから手を離すことができ、生活再建に忙殺される家族へのサポートにつながる。
 「大人に余裕ができると、それが子どもにも伝わり、良い循環が生まれます」と佐藤さんは言う。活動リポートや寄付については同団体のHPで。
■手をつないで笑顔で接して
 避難所では、子どもの遊び相手をするボランティア活動が始まっている。児童心理に詳しい神戸市灘区のこどもコンサルタント、原坂一郎さん(54)に意義などを聞いた。元保育士の原坂さんは、ベネッセが震災後に開設した携帯サイト「非常時の子育て情報サイト」の監修もしている。
 元気に笑う避難所の子どもたちが報道されると、阪神・淡路大震災の時と同じだなあと思います。大人なら思い悩む状況でも、子どもは「うれしい」「楽しい」「面白い」の感情を抱くと、時と場所を選ばず笑うものです。笑顔は自然な現れで、大人のようにコントロールできません。
 遊び友達がいなく困っている。体を十分に動かせない。そんな子どもが大勢いるはずです。だから、これからボランティアに行く人は、一人でも多くの子どもに笑顔で話しかけ手をつないでほしい。「腕にぶら下がっていいよ」「おなかにパンチしてごらん」「肩車してほしい人、集まれ!」と言ってください。子どもは体が触れる遊びが大好き。鬼ごっこや追いかけっこでもいい。
 厳しい状況が続きますが、支援する側が必要以上に深刻にならないでほしい。支援物資として高価なおもちゃが送られたというニュースも聞きますが、紙と鉛筆があればいろんなゲームができます。簡単な手品や笑いが取れるだじゃれを披露するのもいい。とにかく、子どもたちを喜ばせて。
 被災地の保育士仲間を応援するため、僕も4月中旬に岩手県宮古市で親子で体を動かす教室を開く予定です。
(神戸新聞4月12日)

東日本大震災 ミニニュース 工業高生が車いす支援

各地の工業高校の生徒たちのボランティアグループ「空飛ぶ車いす」が、被災地の避難所などに車いすを贈っている。これまでに福島県災害対策本部に30台、宮城県南三陸町立志津川小の避難所に10台を寄贈。避難所や仮設住宅からの要望に応えたいという。

 車いすは、古くなったり体に合わなくなって破棄されるものを施設や個人から譲り受け、機械メンテナンスを学ぶ工業高生たちが修理した。路面状態の悪い場所でも使えるよう、チューブのないタイヤに交換している。

 連絡は支援団体の「空飛ぶ車いすを応援する会」電話03・3846・2172、メール(KGK00174@nifty.com)。車いすの修理部品代などの支援も募っている。
(毎日新聞4月1日)

ハートチェアプロジェクト〜被災地へ車椅子を

突然のお知らせで失礼します。
東北関東大震災で被災された方の支援に関して、
現在、学生が中心となり「ハートチェアプロジェクト」を進めています。
「ハートチェアプロジェクト」とは
学生による街頭募金で被災地の方々に車椅子を寄贈しようという計画です。
自らも障がいを持つ立命館大学の学生起業家の垣内俊哉を中心として進めております。
現地の被災した病院や施設、高齢者や地震で障がいを負った方や
避難の際に車椅子を失った障がい者の方がいる避難所に車椅子を送りたいと考えております。
車椅子については、ハイチ地震後に多数現地に寄贈され活用されている
米国製の災害用車椅子Rough Riderのほか、国内の介護用車椅子などニーズに応じて寄贈します。
米国製災害用車椅子「Rough Rider」(米国非営利組織Whirlwind Wheelchair
International)
参照URL:http://www.whirlwindwheelchair.org/
参照動画:http://www.youtube.com/watch?v=qOFjzfK54PM
また、「被災地の高齢者・障害者へのサポートマニュアル」も印刷し同時に送ります。
関西を中心とした街頭募金において多くの義捐金が集まり、今後は関東でも募金が始まります。
現在、被災地の寄贈先をいくつか探しております。
被災地で本当にニーズがあるところにこれらが届くように、
寄贈先の候補となる被災地の病院や施設や避難所を紹介していただける方、
あるいは受け入れ先となっていただける団体の方がいらっしゃいましたらご連絡ください。
連絡先
早稲田大学大学院生 渡邊 惟大(障がい当事者)
電話番号090-9148-6561
Email: watanabe.tadahiro@gmail.com

リンクハートチェアプロジェクト|株式会社ミライロ

リンク米国非営利組織Whirlwind Wheelchair

避難所の不衛生、寒さ…震災関連死疑い282人

東日本大震災が発生し、11日で1か月。

 避難所の寒さや衛生状態の悪さから持病が悪化するなどして亡くなる「震災関連死」の疑い例が、岩手、宮城、福島3県で少なくとも282人に上ることが、読売新聞の災害拠点病院などのアンケート調査でわかった。被害が甚大だった岩手沿岸の病院では未回答のところも多く、人数がさらに膨らむのは必至だ。避難所の劣悪な状況はあまり改善されておらず、専門家は「関連死が拡大する速度は、阪神大震災や中越地震の時と比較にならない」と警告している。

 調査は、災害拠点病院と主な2次救急指定病院の計113病院に、3月末までに被災した影響で持病悪化や新たな発症で亡くなった患者数を聞いた。56病院から回答があり、3県24病院が該当ケースがあるとしている。282人の内訳は、宮城214人、福島63人、岩手5人。大半が高齢者とみられる。
(読売新聞4月11日)

食物アレルギーの子、被災地からSOS

 アレルギー対応食品の備蓄や受け入れ態勢の不備は、過去の大地震の際にも指摘されてきたが、反省は生かされなかった。東日本大震災発生以降、アレルギーの子を持つ母親らで作る患者会には、被災地からのSOSが次々と入っている。
 ◇対応食、支援物資にまぎれたまま
 「盛岡アレルギーっ子サークル・ミルク」(盛岡市)の藤田美枝代表(27)は震災発生直後、刻々と伝えられる沿岸部の被害状況に居ても立ってもいられず、全国の患者会で作る連絡会にメールを送り、被災地の患者への支援を求めた。
 藤田さんは、各地の患者会から集まった支援物資を岩手県の窓口に届けたり、県の窓口あてに送ってもらったりしたが、10日後に県の物資集積所を訪ねると、支援物資は積まれたままだった。「ニーズがない」との理由で配送されていなかったのだ。藤田さんが「食物アレルギーの患者は一定の割合でいる」と説明すると、県の担当者は「把握するだけの余裕がない」と答えたという。
 藤田さんは「避難所でよく配られるカップ麺やパン、卵などは、アレルギーの子どもは食べられない。アレルギーのない人は待てば足りない物が来るが、アレルギーの子どもに必要な物は待っても来ない。行政側の支援やルール作りが必要だ」と訴える。
 藤田さんらとともにアレルギー患者への支援活動を行う「エコ・ライス新潟」(新潟県長岡市)の豊永有マネジャーは「アレルギー対応食の備蓄があった名古屋市から仙台市に送られたアレルギー対応食が、一般の支援物資に紛れて行方不明になった」と指摘する。「現地の集積所でさんざん探したが、結局、見付けられなかった」という。受け入れ態勢を整えていた仙台市ですら混乱があったようだ。
 阪神大震災などで支援経験がある「アレルギー支援ネットワーク」(名古屋市)は、藤田さんら現地の患者会と協力しながら岩手、宮城、福島の3県で計10カ所に拠点を設置。避難所にポスターを張り、困っている食物アレルギー患者の掘り起こし作業を続けている。自前の備蓄や、依頼に応じた企業からの提供食品を供給しているが、「患者会だけではマンパワーに限りがあり、たくさんのボランティアの助けで運営できているのが現状」(同ネットワーク)という。【林由紀子、片平知宏】
 ◇自治体で備蓄に格差
 毎日新聞が都道府県と政令市計66自治体に取材した結果からは、食物アレルギーを持つ人に対応するための備えを巡り、自治体間で大きな格差がある現状が浮かぶ。
 アレルギー対応食品の備蓄で多いのは、アルファ米だ。東日本大震災で被災した仙台市はアルファ米約38万食、アルファ米のおかゆ約1万4000食分を備蓄していた。新潟市はアルファ米約900袋に、アレルギー対応の菓子約50袋、乾パン約120缶などを備蓄している。埼玉県のように「現物の備蓄はないが、協定を結んだ業者から必要な時に提供を受ける『流通備蓄』で対応する」という自治体もあった。
 近い将来、南海地震の発生が懸念されている高知県は、アルファ米を10年度から5年で計7万500食(年間1万4100食)備蓄する。担当者は「南海地震の想定避難者数の1日分の20%に当たり、市町村の備蓄では賄い切れない分を用意する」と説明する。
 アレルギー対応の粉ミルク・食品を備蓄している愛知県は、県と全市町村の備蓄食料のアレルギー対応状況をホームページで公開している。「あらかじめ情報を出しておけば、各自でどれだけ備えればいいかを考え、準備してもらえる」との理由からだ。
 一方、大半の自治体はアレルギー対応の備蓄をしていない。その理由はさまざまだ。神戸市は「アレルギー対応食を確保する予算がない」。山口県や北九州市は「賞味期限が短いので備蓄していない」としているが、通常の乾パンなどと賞味期限の変わらないアレルギー対応食品もある。
 京都府は「市町村からの要請があれば総合的に検討する」という。東海地震の発生が懸念される静岡県は「住民用の備蓄は市町村の担当。県の備蓄は職員向けなので、アレルギー対応は考えていない」と説明した。
 被災した際に、支援物資としてアレルギー対応食品が届いた場合の受け入れ態勢や配布の仕組みがあるのは5自治体しかなかった。その一つの仙台市の担当者は東日本大震災発生後の対応について、「倉庫で保管する際、アレルギー対応食品とそれ以外を分けて保管し、ニーズのある避難所へ送っている」と説明する。
 仙台で支援を行った新潟市は「担当者にはアレルギー対応の粉ミルクなどを持参させ、避難所の受付に張り紙をするなどして周知を図った。今後、新潟が被災した場合も同様の対応を取る」と話す。北九州市は「避難所などにアレルギーの人がいればニーズを聞き、流通備蓄の協定を結ぶスーパーやコンビニなどに発注する」と説明した。
 国は自治体のアレルギー対応食品の備蓄状況について把握すらしていない。総務省消防庁は「災害対策として備蓄を進めるよう呼びかけているが、備蓄の品目や量については自治体に任せており、指示する権限もない。アレルギー対応食品について特別な対応を取る予定は今のところない」としている。
(毎日新聞4月24日)

震災孤児100人超す 厚労省まとめ、大半は親族と生活

 東日本大震災で両親が亡くなったか、行方不明になっている18歳未満の「震災孤児」が100人を超えた。厚生労働省の14日時点のまとめでは、岩手、宮城、福島の3県で計101人。阪神大震災の68人を大きく上回り、今後もさらに増えると見込まれる。
 内訳は、岩手が44人、宮城が43人、福島が14人。厚労省が3県に児童福祉司らを派遣して調査を進めている。震災孤児の大半は、祖父母ら親族の家で暮らしているという。
(朝日新聞4月14日)

被災自治体の医療システム再構築が急務

これが言いたい:被災自治体の医療システム再構築が急務だ=山本保博
 ◇災害派遣医療隊の活用を−−東京臨海病院病院長・山本保博
 東日本大震災においては被災地域が南北500キロもあり、市町村集落に通じる交通網は津波によって完全に遮断された。空路しか人的・物的支援が輸送できない状況に陥ったことが被害をより拡大した。地域ごとに地震津波災害の程度、住民の年齢層、家族単位数、経済状況などが異なるので、災害医療の対応にも地域差が出てしまった。
 地域医療を支えてきた医療界が壊滅し、指揮・命令を出せる指導者がいなくなった。全国から災害医療の専門医を派遣してもらい、システム構築を急ぐ必要がある。自治体に医療の対策本部をつくり、医療需要の先を見越しながら優先順位をつけて指揮をとれる人材が必要だ。
 全国からの大勢の医療ボランティアの活躍には頭が下がるが、支援ラッシュが終わっても災害医療はニーズを変えながら数年にわたり続いてゆく。初期は外傷を中心とした急性期、次に感染症を中心とした亜急性期、その後は心のケアを中心とした慢性期に移っていく。地域医療の再生も後押ししなければならない。
 災害医療では3Tの重要性が指摘される。避難所や在宅被災者で救急患者が発生した場合、緊急度と重症度から治療の優先度を決定(Triage)し、応急処置(Treatment)と搬送(Transportation)を行い、最も適切な医療機関で治療することが重要だ。
 私は、患者が多く血液透析など地域の病院では手に余る場合、広域搬送を考えることが必要であると考えている。東北地方の長い海岸線を考えると、大型病院船による搬送や治療が有効であろう。患者を運び入れながら運航し、目的地に向かうのである。この種の大型病院船は日本ではまだ存在しないので、都道府県で大型客船等を契約しておき、災害時に派遣させることができればと考えている。被災地や避難所において、インフルエンザや食中毒等の感染症の流行が起こったり、福島第1原発事故がより危険性を増して緊急対応が必要になったような場合にも、長距離搬送が必要になる。
   *
 日本の災害医療は、阪神大震災までは「待ちの医療」で災害現場に入らず、病院で負傷者が運ばれてくるのを待っていた。阪神大震災後に発足した日本DMAT(災害派遣医療チーム)の活躍は、東北の各地域で目を見張るものがある。災害現場のがれきの下から救急医療を開始することで救える命を救うべく、全国から約340隊、1500人以上が派遣されてがんばってきた。もちろん、現場の避難所での医療もDMATの使命である。日本DMATは急速に隊員数を伸ばし、3月10日現在都道府県が指定した443病院で846隊、5265人が登録され出動準備が整っている。
 DMAT隊は医師2人、看護師2人、医療事務1人の5人で構成され、4日間の初期研修を終了している専門家集団である。厚生労働省指導課が主管で事務局は国立病院機構災害医療センター内にある。被災自治体では、積極的にDMATの活用を考えるべきである。
 災害での大きな心的ストレスがかかった被災者の中には、数週間から1カ月程度経過したころから、眠れない、おびえる、話をしたくない、など精神的にうつ状態に陥る場合がある。これを心的外傷後ストレス障害(PTSD)という。特に災害弱者といわれる高齢者や子供たちに多く出現する。この対策に力を尽くす必要がある。
(毎日新聞3月31日)

停電が命の危機に直結 被災地の在宅重度障害者

 東日本大震災の余震が続く中、被災地には、停電が命の危機に直結する重度の在宅障害者がいる。避難所での集団生活は難しく、電動のたん吸引器や人工呼吸器が必要な人たちだ。自動車からの電源でしのいだり、緊急入院を余儀なくされたり……。家族や周囲の懸命な介護で乗り切ろうとしている。
 岩手県釜石市甲子町の菊池裕子さん(27)は生後10カ月で過って風呂の残り湯に落ち、脳障害から体が不自由になった。居間のベッドに寝たきり状態で、母の紀子さん(61)がつきっきりで介護してきた。
 流動食の食事や薬を1日3回、鼻から管を通して送り込む。むせてせき込むなど体がこわばる兆候が出るたびに、電動吸引器でたんを吸い出さないと、すぐに呼吸困難になる。
 あの日、大きな揺れで棚のものが次々と落ち、裕子さんはパニック状態に。紀子さんはとっさに裕子さんの上に覆いかぶさり、抱きしめて守った。父の俊二さん(63)は日課のウオーキングで外出していた。急いで帰宅すると、裕子さんはおだやかな顔に戻った。
 しかし、地震と同時に停電。裕子さんの呼吸を見ると、たん吸引の必要が迫っていた。俊二さんは機転を利かせ、玄関前の乗用車のエンジンをかけてシガーソケットから電源を取り、延長コードで吸引器につなぎ、ことなきを得た。
 停電は続いた。残っていたガソリンは3分の1程度。「電気が戻るか、ガソリンがなくなるのが先か」と案じる日々が続いた。窮状を知った親族がガソリンスタンドに並び、今日は3リットル、次の日は10リットルと届けてくれた。
 暗闇の中、ろうそくと懐中電灯で流動食の準備と注入、たん吸引をする夜は6日間続いた。地震から6日目の16日午後5時50分、電気が戻ったときは家族3人、拍手で喜んだ。
 大きな余震がくると裕子さんは取り乱して泣き出すこともあるが、紀子さんは「支えてくれる人がいっぱいいて、ここまでこられた。この子の笑顔は私たちを救ってくれています」と話す。
     ◇
 岩手県陸前高田市立高田第一中学校3年の菅野優希君(14)は脊髄(せきずい)性筋萎縮症。2歳のときに発症した。
 家でも学校でも特注の車イスで元気に走り回るが、筋肉が日々衰えていて、集団生活での寝起きは困難だ。体力が弱く、風邪などもひきやすい。夜は、呼吸困難になるために人工呼吸器を装着する。
 地震初日、優希君は同級生らと体育館に避難。市内はほぼ全域が停電だったため、担任教諭らが救急隊員に事情を説明し、かかりつけでもある県立大船渡病院に緊急入院した。
 今も停電が続く家には戻れず、母の光子さん(37)は自閉症児の弟、小学6年生の星樹(としき)君(11)を連れて毎晩、同じ病室の床に泊まり込んでいる。余震があると興奮気味の星樹君も手足の不自由な兄にご飯を食べさせ、おむつを換え、お風呂で体を洗ってあげる。
 停電の自宅では、夫の雅人さん(47)と義父母が待つが、避難所にいないため支援物資の配給もないし、風呂にも入れない。在宅障害児が帰宅できるめどはない。
 岩手県重症心身障害児(者)を守る会(平野功会長)によると、県内の被災地沿岸部にはこうした在宅重症者は25人、病院や施設に入っている人たちは約80人いるという
(朝日新聞4月18日)


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コメント

被災地の障がい児への支援【児童デイサービス調査】-1

顔 unknown 時間 2011年 4月 22日 16:19:18

あいち児童発達支援連絡会(会長渡辺顕一郎日本福祉大学教授)では、被災地の児童デイへの調査(中間報告)を整理して、あい発連のブログにアップしました。
http://blog.canpan.info/aihatu/


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